(´・ω・`) 大会出る層と買物する層が違ってきてる





■あらすじ
第3次世界大戦後のサンフランシスコ。賞金稼ぎのリック・デッカードは「サンフランシスコに逃亡アンドロイドが逃げ込んだ」との連絡を受け取る。
追うものと追われるもの。デッカードと8人のアンドロイドの生死を賭けた戦いが始まる。



■感想
ブレードランナー2049見たんで原作も読まんといかんだろうということで読んだんですが、まあわかんねぇなこれ。
何が書いてあるかはわかるんだが、なぜ書いてあるかはさっぱりわからん。わからなさ過ぎてあんま感想も書くことがない。

あらすじは本当にその通りで、デッカードがアンドロイドを追跡する話なんですけどね。ところどころに差し込まれるマーサ教の話なんかの意味するところがようわからん。

わからなさ過ぎてググったところ、ディックが言いたかったことは「人間らしく作られたアンドロイドと人間の差は何か」つーとこらしい。
アンドロイド、ブレードランナー2049では子供まで産んじゃうんだけど、そうなるともうどこに違いがあるのかわからんよね。ゴーギャンじゃないけど、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という気持ちになる。

ゴーギャンの話で行くと、俺あの手の絵の意味というか良さというか、そういうのがよくわからんタイプなんだよ。ピカソの絵とか見てもなんの感銘も受けんからね。
多分ああいうのって来歴とか諸々知った上、文脈を共有した上で見ないと意味わからんのだろうな。で、ディックの作品もそういうやつなのかなーという気がする。



エンデの弟子にラルフ・イーザウって人がいてね。暁の円卓とか銀の感覚とかはてしない物語の続編とか書いてる(カール・コレアート・コレアンダー氏の冒険部分)んだけど、その人の作品にネシャン・サーガってのがあんのよ。

今風にあらすじを書くと、病弱な少年が死んじゃって異世界転生しましたみたいな話なんだけど、コレ最後の最後で唐突にミカエルとか出てくるんだよな。異世界のラスボス倒した後に。

話自体もキリスト教の観念を底辺として進んでいる感じでね、隣人愛とか聖書の教訓みたいな話が頻繁に出てくるんだけど、でもアレ聖書とか読んでなかったら最後に唐突に出てくるミカエルの意味が理解できんよな。

で、おそらくディックの作品も一緒なんじゃねーかなー。その辺のキリスト教的な感覚がしっかりわかってないと理解できない、みたいな。
本作も最後の最後で唐突に神が出現するんだけど、俺その辺でついていけなくなったもんな。



さて、本題に戻り。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という問いに対する作者の回答としては、「見ない」だと思う。
作品の終盤、逃亡アンドロイドが蜘蛛を見つけるシーンがあるんだよ。そこで「足8本もいらんくね?4本でええやろ」とか言ってもいじゃうんだよな、奴ら。

ラストでも似たようなシーンがある。
アンドロイドのレイチェルが、山羊をビルの屋上から突き落とす。一方、デッカードは人口生物のヒキガエルに感情移入し、持ち帰る。

ディックは、この他者に対する感情移入を持って人間の人間たる所以としているんだろう。と思う。
もちろんそれは人間本来の能力というよりは文明によって付与された能力という方が正しいんだろうけど。倫理的な感覚を持てるかどうかが差ってことなのかなー。

正直よくわからん。こういう時に評論とかあると便利なんだけどなー。
現代評論とか俺結構好きだよ。