(´・ω・`)一人のファンとして、知ってほしくて書きました。







■愛知で、デュエルマスターズで
今でこそ晴れる屋に所属し関東を主戦場とする原根選手ですが、元々は愛知県のプレイヤーでした。最初に頭角を現したのはデュエルマスターズ。
2003年の公式大会である無敵リーグで、中部大会にて4位入賞を果たしています。

デュエルマスターズは2002年にリリースされており、2003年時点で既に競技的な公式大会が開かれていました。
無論、現代の競技TCGから見れば「競技」と呼ぶにはいささか不十分な形式だったでしょう。定員は64人、参加するためにはハガキを送って抽選を待つのみ。

ですが、当時はおよそ競技と名のつく場がほとんどなかったのです。
1999年にリリースされ、同年に東京ドーム事件を起こした遊戯王は既に国産TCGの頂点として確たる地位を築いていましたが、競技としての観点からは不十分な施策しかありませんでした。
その当時の状況にあって、競技志向の強い選手たちが毎年公式大会の開かれるDMを選択したのは必然だったことでしょう。

原根選手はその後も2004年、2006年に3位入賞。この頃からディメンション・ゼロにも参入し、グランプリで何度も入賞しています。当時の彼が既に優秀な選手だったことに疑いを持つ人間はいないでしょう。

しかし、原根選手にはどうしても手の届かないものがありました。それは頂点のタイトル…日本一です。



2008年、ギャラクシーマスター関西エリア予選。決勝へ進み、頂点への挑戦権を目前にした原根選手は、自分と同じくカードショップ・おやつのじかん勢であるPULU選手との同門対決に臨みます。

この時、PULU選手は直前の中部エリア予選で小学生に敗北していました。彼は当時既にTier1から陥落していた黒ランデスを強く好み、それにこだわったがために小学生の単純なマナ加速デッキの前に斃れていたのです。

PULU選手の使用デッキは、その中部と同じアーキタイプ…黒ランデス。一方の原根選手のデッキは当時のメタゲームにおけるTier1、4Cキング・アルカディアス。

結果は見えている。
観客の目には、そう映るでしょう。

けれど、PULU選手は決してデッキの調整を怠っていたわけではありません。後にDM専門店・WINNERSのオーナーとなるパタ選手から「黒ランデスは事故るよ、青銅の鎧を2枚増やしたら?」とのアドバイスを受け、中部エリア予選後にデッキを修正していたのでした。
そして準決勝では、原根選手と同じおやつのじかん勢であり、原根選手と同じ4Cキング・アルカディアスを駆るエスパー選手を下していたのです。

決勝の結果は、PULU選手の勝利でした。

当時のDMは逆転要素の薄いゲーム。ゆえに、試合が終わる前に結果が見えてしまうゲームでした。
大勢が決した直後、原根選手は自身のクリーチャーを全てPULU選手のクリーチャーに特攻、自壊させたと言います。

そして、これより少し前の2007年ごろより別のゲームで戦い始めていた原根選手は、次第にそちらへ力を傾けるようになっていくのです。


■世界大会のあるゲーム
次の戦場として原根選手が選んだのは遊戯王。「理由は世界大会の存在」と後に本人が語っています。

世界への憧憬を抱く原根選手が遊戯王のCSで入賞し始めたのは2007年から。
僕が存在を知った2009年には神奈川や関東でCS優勝、その傍らで今なお評価の高いくされにっきを更新し続けるなど名実ともにトッププレイヤーの一人でした。

原根選手が手掛けた有名なデッキはいくつもありますが、中でも有名なのは墓地BFでしょう。

墓地BF関連ガイドライン

当時の国産TCGで、ここまで書き込まれた解説記事があったでしょうか。文章の構成力に実績も相まって、高い評価を受けていた記憶があります。
最後に書かれた征龍の記事も同じく。

デッキ解説 - 征竜(2013.11.30)

個人的な思い出で言えば、インフェルニティ。

遊戯王日本代表選考会

櫃からハリケを持ってくるキルルートを初めて見たのは原根選手…というか、J-Speed選手の構築でした。嵐、ハリケ、寒波が全て使える当時のレギュレーションの滅茶苦茶さもあり、とても印象に残っています。

そして何と言っても外せないのは"J-Storm"。

使用デッキ - 岡山CS(第3回)(2011.11.26)

コメント欄に書かれていますが、先攻で大嵐をセットし油断して2伏せしてきた相手にその大嵐をぶつけるというプレイ。
これも初めて聞いたときは衝撃的でした。先手で嵐だけを伏せてターンを返すプレイはそれなりにリスク含みで、自分のような下手な側のプレイヤーでは到底実行できません。的確な読みのなせる業でしょう。

遊戯王には多くのスタープレイヤーがいました。けれど、誰が一番輝いていたか?と聞かれればそれはJ-Speed選手なんです。それほどの実力とカリスマ性を、間違いなく彼は持っていました。

でも。そこまで衆目と羨望を一身に集めながら。またしてもたった一つだけ、手に入らないものがありました。

世界王者の座。

世界大会へ出るためには、日本代表になる必要があります。つまり、東か西の選考会で勝たなければいけないんです。狭き門をくぐらなければいけない。

J-Speed選手は、決して諦めませんでした。努力と論理を積み重ね、前に進み続けました。
けれど。



2013年の選考会を終えたあと、J-Speed選手の心は空っぽになっていました。



翌年になっても状況は変わらず、次第にJ-Speed…いや、原根選手はMtGの道へと進み始めるのです。


■最大最古の戦場へ
MtGに道を求めた原根選手は、ここでも着実に腕を上げていきます。

最初に彼の名を知らしめたのは、レガシーでした。

2015年4月19日。グランプリ京都2015。準々決勝。
八十岡翔太 VS 原根健太。

準々決勝:八十岡 翔太(東京) vs. 原根 健太(愛知)

解説の藤田氏に「この戦いは記録に残すべき」と言わしめた壮絶な死闘を制し、参加者1943名の中で3位入賞を果たした原根選手。



そしてここから、思いもよらない展開が原根選手の人生に起こるのです。


■プロへの道
GP京都より7か月後。

速報!原根 健太、Hareruya Prosに加入!!

原根選手が、晴れる屋にスポンサードされることが明らかにされました。そこで語られたのは、「3年間でレベルプロになる」という決意。
その宣言を貫くため、約半年後の2016年4月には更なる告知が。

今後に関するお知らせ

転職。転居。
晴れる屋に勤め、関東でプロを目指す生活へ。
かつて夢見て果たせなかった"世界"への挑戦を、今再び始めるのです。

もちろん、そう簡単には行きません。最初は慣れない遠征などに戸惑うことも。

原根健太のGP台北2016レポート

そんな中でも原根選手はこれまでと変わらぬひたむきな努力を続け、GP京都2016では「マジックの次代を担う」と評される存在になっていました。

原根/松本/平見チームにインタビュー!

エターナル環境では、レガシーのみならずヴィンテージでも実力を発揮。

挑戦者インタビュー: 原根 健太 ~安定、その先へ~

ですが、スタンダードやモダンでは勝ちきれない日々が続きます。

「やらなければ分からない」のその先へ ~The Last Sun 2016レポート~


芳しくない結果。そのことを誰よりも重く受け止めていたのはほかならぬ原根選手自身でした。3年計画も終わりに近づき、重圧は増す一方。「マジックがつらい」と吐露し、2017年6月のGPマニラではついに自身初となるドロップを選択してしまいます。
直後に参加したRPTQでも、勝てば目標のシルバーレベル達成と言う最後の1マッチで敗北。

あと一歩なのです。ほんの少しなのです。
であるがゆえに、茨の道であろうと進まなければいけないのです。

プロポイントが集計される7月末まで残りわずか。突き動かされるように、原根選手はラスベガスへ飛びます。
3フォーマットで開催されるGPラスベガス、そこでレガシーに参加した原根選手は初日を8-1で終え、シルバーレベルに王手をかけていました。

しかし2日目、調子よく連勝した後に立ちはだかったのが同じHareruya Pros所属、チェコのルーカス・ブローン。GP優勝経験もPT優勝経験もあり、世界選手権でも上位に食い込むトッププレイヤー中のトッププレイヤー。
9年前のギャラクシーマスター関西エリア予選を彷彿とさせる同門対決に、原根選手は惜しくも敗北。そこから転げ落ちるように負けを重ね、10-4。

もう、後がありません。もう、負けられません。
またダメなのか。繰り返すのか。

そんな気持ちで迎えた最終戦。原根選手は勝ちました。プロポイントを手に入れ、シルバーレベルに到達。
3年間の苦闘が報われたのです。

3年計画の終わり -GPラスベガス2017レポート-


■見果てぬ夢
それからも原根選手は快進撃を続けます。晴れる屋主催のアモンケット環境名人戦で優勝し、PT「破滅の時」でゴールドレベルプロへ昇格。

この勢いが、それだけで終わるはずもなく。

2017年9月10日。迎えた日本選手権。

日本選手権2017イベントカバレージ

復活した日本選手権で、原根選手は優勝を果たしたのです。
そしてそれは、彼が日本代表としてワールド・マジック・カップへ出場することを意味します。
渡辺雄也選手、八十岡翔太選手、そして原根健太選手の3人チームで世界へ挑むのです。

2013年の選考会。全力を注いだのに勝てず、悔し涙を流したあの日から4年。見果てぬ夢を追って苦闘と努力を積み重ねた末に手にしたのは憧れへの挑戦権。横に並ぶは日本最強格の2人。
彼の夢は、物語は終わらない。


だから、この果てしない物語の結末はまだありません。結末を語る代わりに、この物語にふさわしい一節の引用をもって締めくくりとさせてください。

「物語を紡ぐ事とデュエルをする事は同じだ。人と人との意志のぶつかり合いが物語を紡ぐとすれば、デュエルをする事も物語を紡ぐ事と同意といっても大げさではないだろう」--------------川崎大輔
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