(´・ω・`)Legend






もう、7年も前のことになる。





■2010年10月24日
俺が初めてCSを知ったのは、この日だった。

なんとなく、そういうものがあるとは知っていた。

第3回DM関東チャンピオンシップ・上位4名デッキ 23:55修正

そんな折に見たのがこの記事。ガチデッキを持ち込んで、ガチ勝負だけを楽しむ場があるのかと驚いた。公認大会とWHF程度しかなかった俺の世界が広がった瞬間だ。
ここから少しずつvault大会の結果を見るようになり、メタゲームを理解し…そして、CSへ出場するようになっていく。


■2011年5月2日
第4回関東CSもまた、俺を惹きつけた。

時代はPS期。ほぼ同じリストでのミラーマッチが頻発していたドロマーハンデスに、グローリー・スノー型という新たな概念を持ち込んだラスゴ選手の優勝。そして、vaultにおける黒緑速攻の使い手として知られ、電脳世界のトップランナーだったほろ選手がリアルイベントでトップ8入り。

関東CSだからこその、ハイレベルな戦いが繰り広げられる。現地で見たい。その思いが日増しに強まっていた。

DM史:不滅大蛇事件


■2012年1月21日
2012年はCSが増え始めた年で、CSの権威問題が俄かに論じられていた。「CSの数が増えすぎると希少性が失われる」というやつだ。適当な運営をしているイベントは既にこの頃から発生し始めていて、プレイヤー歴が長い人間から問題視されていた。

だが飽食の時代にあってもまだ、関東CSは特別だった。
極めて早い段階から存在するイベントという歴史もさることながら、予選から決勝を通じてすべてマッチ戦である点、早い段階でスイスドローを取り入れていた点、それらに惹きつけられた選手同士の熾烈な戦いなどイベントとして評価すべき項目は多い。

だから。
競技DMを知り、CSに興味を持った俺が、第5回関東CSへ参加したのはある種の必然と言っていいだろう。当時の競技プレイヤーなら誰だって同じことを思ったはずだ。あの192人の中に入りたいと。同じ時間を共有したいと。

DM史:その名はM・ロマノフ

初めて参加した関東CSは、確かに俺の期待を裏切らなかった。革新の波濤が押し寄せ、既存のメタゲームはプレイヤーによって変革の叛旗を翻されたのだ。

キリコ有利とされた下馬評は覆り、ギガボルバを掘り起こした絶対領域選手が優勝。2位にはまさかの青白ソードを駆ったじゃぎ選手が着け、3位はMとラムダという予想外の組み合わせを持ち込んだUMEBA選手。

これを競技デュエルマスターズと言わずして、何が競技デュエルマスターズなものか。
この流転する世界こそがメタゲームの神髄でないとすれば、他の何がメタゲームだというのか。
当時の俺はそう思っていた。


■2012年3月31日
そして、俺自身の認識と理解を大きく変える出来事が起こる。

E1期こと2011年度の終わり掛け。遊戯王の同名イベントを祖とする新たなCSが開かれた。

第1回レジェンドCS。

読者諸兄が良くご存知であるように、関東CSと同じくチームΦが率いたこのイベントには参加資格が存在する。だからこそのレジェンドなのだが、当然俺には資格がなかった。

だからこの日の俺がやっていたことと言えば、Twitterに流れてくる速報を見ていただけ。当時はまだ中継と言う概念もない。
その後、いくつかのイベントでtwitchによる突発的な中継は行われるものの、しっかりとした中継技術の確立は2015年の第5回静岡CSを待たねばならなかった。

そういうわけで、俺に出来たことと言えば、「長野勢と静岡勢が偶然にも同じ青緑ラムダを持ち込んだ」「ビースト・チャージを使っている選手がいる」といった情報を眺めることだけだった。

それでも十分に楽しかったが、それと同時に衝撃もあった。というのもこの大会、50人強程度しか参加していない。にもかかわらず、定員192人の関東CSと同等、あるいはそれ以上のめくるめく攻防が、メタ読みが展開されていた。そして、俺はそれを見て楽しんでいた。

当時も今も、プレイヤーが盛り上がるのはやはり大型CSだった。その理屈から言えば、レジェンドなんて大して面白くもないはず。けれど、現に俺は情報を聞くだけでも楽しんでいる。

イベントの本質的な面白さは、人数と別のところにあるのではないのか。
そして、自分が本当にやりたいのはイベントへ参加することではなくイベントを見ることではないのか。
俺自身の認識と理解が、動いた瞬間だった。


■その後のDM
しかしこの後のクリムゾンCS事件によって、関東やレジェンドで使われていた綾瀬の会場が使用不能に。レジェンドCSはわずか1回の開催で潰えてしまう。

更にE2環境では、あの悪名高い鬼丸「覇」が出現。封入率の渋さも相まって、環境は急速に悪化する。
2013年1月のおやつCSでは、遊戯王を離れてDMプレイヤーとして参加していたJ-Speed選手が「事故ったらもう何もできないこのゲーム、何が面白いの?」と述べてMtGへ転向していった。

これを切っ掛けに、俺の情熱も急速に引いてしまう。俺自身もまた、この頃の金だけかかるデュエルマスターズの何が面白いのかさっぱり分からなかったからだ。

このことは後にDS期において、IRにて名指しされるレベルの記録的な年間売り上げの低さと言う形で表面化する。それを受け、メーカは封入率を改善。そして新たな方策を探っていくことになる…。



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