(´・ω・`)鹿がめっちゃいる



歴史の謎を紐解いてアレする系の本です。
漫画で言うたらワンピース最強考察とかああいうのだな。違うか。
結構面白かったですよ。
以下は本書の内容に基づいてると思います。

■藤原氏
藤原氏と言うのは中臣鎌足を祖とする一族なんですけれど、中臣鎌足というのは実は百済の王子じゃねぇかと言う話があるんですね。ほんとかどうかは知りませんが、この本では百済人と言うことになっているのでそういうことにしときます。
で、百済から来ると土地がないわけです。自分の土地がない。こうなると他人から奪うしかないですよね。
そもそも古代と言うのは土地を持っているやつが偉かったんです。だから地方の豪族とかいうのが出てくる。

さて、奪おうにも外国から来たばかりですから奪う手段がない。兵隊いないし。
唯一のチャンスは、ルールを作ることでした。大体世の中、ルールを作る側に回ればいい思いが出来るってもんです。
さて、当時ルールを変えて行こうという改革系のトップにいたのが蘇我でした。そもそもこいつらは仏教を輸入したときに文句をつけてきた物部を滅ぼすぐらいには強く、また仏教を取り入れるような進歩性を持ち合わせていたのです。
そういうわけで改革と言えば蘇我でした。

しかし、中臣鎌足としちゃあ困るわけです。ルールを変えるのはいいけど、自分がトップに立たなきゃ意味がない。そういうわけで、中臣鎌足は中大兄皇子を仲間に引き込んで蘇我を潰します。世にいう大化の改新(645年)です。改革系を潰して大化の改新とか言ってれば世話がありません。まあ世の中、改革に文句を言うのは利権を失うやつと相場が決まってます。

んで中臣鎌足の息子である藤原不比等は念願かなってルールを作る側に回ります。すなわち、大宝律令(701年)です。
大宝律令以前に日本は白村江(663年)でぼろ負けし、百済は滅亡。さっさと国家作っておかないと殺されるぞおめーという危機感からみんな頑張ります。白村江~大海人皇子即位までは火の鳥の太陽編かなんかが面白いので読んでね。

そしてここで出てくるのが公地公民です。全ての土地と人間は天皇のものだぞオラッという、まあ要するにソ連ですね。この制度によって土地の保持量がリセットされ、ニューゲームになったので藤原氏もそれなりにゲームに参加できるようになりました。

無論、土地を取られた豪族その他も黙って従っていたわけではありません。そもそも共産主義なんてうまくいかねぇんですよ。
問題は色々あったんですが、一番多かったらしいのが制度からの離脱者。税を納めたくないって言うんで、まあ流浪の民になるやつが出てきたんです。勝手に出家するやつとかね。住所不定職業無職ですね。んでそいつらを労働力として隠し田に突っ込んでたのが地方の豪族たち。 生活保護を巻き上げる業者みたいなもんですね。多分。

更に時代が進むと、神が制度から離脱します。神官が「神が神であることに疲れたって言ってるわー」とか言い始めると。まあ茶番ですけどね。疲れてるのはおめーだろと。
他、税を納めた蔵が神の祟りで燃えることもよくあったらしいですね。燃える前に中身はこっそり運び出されてるんですけどね。このあたりから荘園とかが生まれ、どんどんめんどくさいことになっていきます。

そんなこんなでシステム的にはあんまりよくなかったんですが、ともかく藤原氏はあれやこれやして権力を握ろうとします。まずは天皇の親戚になることですよね。まあ政略結婚その他もろもろで頑張ります。

あれやこれやしてなんとか権力を保持していた藤原氏ですが、不比等が死ぬと対抗勢力である長屋王が台頭してきます。
この長屋王というやつは大海人皇子の子孫なんですけど、大海人皇子と言うのは兄貴の中大兄皇子と死ぬほど仲が悪いんですよ。どんぐらい仲が悪かったかと言うと、中大兄皇子の長男をぶっ殺して天皇になってる(壬申の乱、672年)ぐらい仲が悪いです。ヤバイ。

で、あまりに長屋王がやばかったんで、不比等の次の世代に当たる藤原4兄弟は長屋王を殺しちゃうんですよ。冤罪でね。おめー呪いの勉強したやろ!死刑!つって躊躇わずに一族根絶やし(長屋王の変、729年)にしちゃうんです。なんせ長屋王の息子は天皇になれる可能性が結構あったので、排除しておかないとやべーと思ったんでしょうね。

こうして盤石の体制を築いたかに見えた藤原4兄弟ですが、8年後の737年に4人そろって天然痘で死亡。はたから見たら完全に長屋王の祟りです。菅原道真といい勝負です。
さて、菅原道真は北野天満宮でまつられたんですけれど、長屋王はどうなったでしょうか?
なんせ長屋王、名目上は悪い奴だから殺したということになってますので、そうそう祀れません。

実はその長屋王を祀った場所こそが東大寺なんじゃないかと言うのが本書の話なんですね。
724年に即位した聖武天皇は藤原系の天皇ではあったけれど藤原嫌いになり、祟りを恐れて東大寺を作ったと。
大仏づくりに行基を抜擢したのも、藤原氏が作った律令から脱却し、天皇個人としての力を見せるためではなかったかと。行基って言うのは最初に描いた制度からの離脱者、勝手に出家する私度僧に該当するんですけど、その律令の敵をわざわざ重用したのは藤原氏に嫌気がさしたからだと。

まあ中大兄皇子はそもそも日本人じゃないし大海人皇子と兄弟でもないという話も世の中にはありますけど、実際どうだったんでしょうね。
個人的にはめっちゃ納得できたのでよかったですよ。読んでみてね。
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